Drupal:2011 年の回顧と 2012 年の予測(前半)

2012 年 1 月 5 日 - 16:11 -- ドリース バイテルト

(この記事は長いので前半と後半に分けました)

2011 年は Drupal が大きく成長したものすごい年だった。僕にとってはずっと、とても忙しい1年でもあった。

Drupal 7

1,000 人近いコントリビューターたちの努力のおかげで僕たちは年明けに Drupal 7 をリリースできた。そして、90 カ国を上回り、250 を超えるパーティーで1つのコミュニティーとしてそのイベントを祝った。僕たちみんなの驚くべき偉業だ。

Drupal リリース パーティー マップ

世界中で開かれた、すべての Drupal 7 リリース パーティーの地図:開催地は 90 カ国を上回り、パーティーの数は 250 を超えた。

新しい(メジャー)リリースと共に普及活動(エヴェンジェリズム)も新しいラウンドが始まる。僕は 2011 年に 412,000 km 旅行(移動)した。2010 年にはそれが 300,000 km、2009 年には約 100,000 km だった。世界一周がおよそ 40,000 km だとすると、僕は世界を大体 10 周したことになるし、大まかに言えば一カ月に1周していた勘定になる。言い換えれば、毎日、平均で 1,100 km 旅行していたわけだ。言うまでもないことだが、これはかなりの普及宣伝活動だ。(数字などで直接)目には見えないかもしれないが、Drupal をプロモートし、各地のコミュニティーを世界中で作っていくには、この活動がとても効果的だと信じている。

訪ねたなかでいちばんワクワクした場所を3つ挙げるとしたら、ブラジル、インド、シンガポールだ。これらの場所には大勢の Drupal ファンがいて、その集団が成長し続けている。Drupal のチャンスもたっぷりとある。

Drupal 7 は今、大成功を収めている。Drupal 7 は少なくとも Drupal 6 の2倍の速さで採用されて(広まって)いっている。2012 年は Drupal 7 のおかげで 1年を通して Drupal の採用がさらに伸びると期待できるだろう。

Drupal 8

2011 年は Drupal が 10 歳になった年でもあり、DrupalCon シカゴでは大きな誕生パーティーがあった。同時に僕たちは Drupal 8 の開発も始動させ主なコア イニシアチブに関する作業をスタートした。絶えず変化している Web に Drupal がきちんと対応できるようにするためだ。DrupalCon ロンドンでは、3,000 人を超える回答者から寄せられた、コミュニティー全体にわたるアンケートの結果を発表した。その結果は既存のイニシアチブの戦略的な重要性を強めるものだった(大半の回答者が重要性を認めた)。同時に、いくつか(のイニシアチブ)を加えることにもなった。この追加については 2012 年に発表できたらと思っている(2011 年末に執筆した文章か?)

これらのイニシアチブを率いているのは、グレッグ ダンラップ(Greg Dunlap。設定マネージメント)、ラリー ガーフィールド(Larry Garfield。Web サービス)、ガボール ホイツィ(Gábor Hojtsy)。多言語)、ジャシーネ ルイシ(Jacine Luisi。HTML5)、ジェフ バーンズ(Jeff Burnz。デザイン)、ジョン アルビン(John Albin。モバイル)だ。これらは Drupal 8 の他のすばらしいコミュニティー イニシアチブと連携して行われている。Drupal 8 をよりよくするべく懸命に取り組んでいるすべての人々に大きな感謝を表したい。

自らの未来を讃(たた)えると同時に僕たちは自らの過去からも学ぼうとした。3年かかった Drupal 7 のリリース サイクルとそこから学んだ教訓について、開発プロセスを振り返る討論会を開いた。何がうまく行ったか、うまく行かなかったのは何か、Drupal 8 の hook_process_alter() (“alter”は「変える」、「改める」)はどうすべきか。(そうした議論の)ひとつの結果として、僕たちはコア開発プロセスを調節する仕組みをいくつも実装した(重大な問題点および重要な問題点の総数に対する「ハード キャップ」。多数の Drupal コア チーム リーダーとの共同作業で策定した「ゲート」。ゲートでは、アクセシビリティー、パフォーマンス、ユーザビリティー、テスティング、ドキュメンテーションのそれぞれに対するパッチのレビュー方法が規定される)。また、Drupal.org での共同ツールcollaboration toolsに対しても多数の点を改善した(問題点の概要issue summaries、画像アップロード、利用登録subscriptionsなど)。

僕たちのコミュニティーはもともと、リリース サイクルの中でも動作の安定化とバグ フィックスに意識を集中していた。そのため、Drupal 8 の開発はやっと最近、DrupalCon ロンドンのころになって「花が開いてきた」ところだ。しかし、それからはエキサイティングな改良がいくつも加えられてきた。たとえば、Drupal 8(の出力)を HTML5 に変換するパッチ、Drupal の多言語システムを整理するパッチ、オブジェクト指向の新しいエンティティー API とキャッシュ システム、ドキュメンテーションと API の整理などだ。また、「Web サービス」と「設定マネージメント」の両イニシアチブでは有望なプロトタイピングが進んでいるところだ。

Drupal Association

Drupal のもう一つの側面として 2011 年に僕の「フロント シート」に座っていたのは Drupal Association を「再起動」することだった。それは、米国を拠点とした 501c3 組織(免税条項が適用される非営利団体)へと移行し、その組織の構造を変えること。すなわち、意思決定を行う役員会とそれをサポートする委員会を備えたものにし、新しい役員会メンバーを選出することだった。こうした変更の重要性を理解するには、Drupal Association の歴史その変更の背景までもそれなりにわかっている必要があるが、主な目標は次のとおりだ。

  1. 基本的に無報酬の「スタッフ」(インフラ マネージャー、イベント マネージャーなど)という地位から役員たちを引き離し、意思決定を行う一つの役員会へと移行させる。これによって Drupal Association はコミュニティーの急速な成長に合わせて活動(の規模)を拡大できるようになる。すなわち、7~9名の個人がそれぞれできることだけに(全体の活動が)制限されることはなくなる。
  2. 役員会の多様性と効率性を向上させる。これは役員を任命する専用の委員会を通じてターゲットを絞った形で新しいメンバーにアクセスすることで実現する。
  3. コミュニティーから選出された、全体を代表するメンバーを役員会に入れることによって、役員会の決定(議論)にコミュニティーからのダイレクトな発言を増やす。
  4. インフラ委員会、イベント委員会など、テーマを絞った委員会に参加することによってコミュニティーが Drupal Association の活動に直接、関与できるようにする。
  5. 事業(拠点)を米国に移す。これは、僕たち(Drupal Association)の収入のほとんどが米国から来ていること(米国に移すことで税金が控除される「寄付」として扱えるようになった)、そして、スタッフのほとんどが米国内に住んでいることもあり、組織運営の効率を上げやすくするためだ。

こうした数々の変更は実行するのにかなり時間がかかったし、いくつかはまだ継続中だが、組織の将来に向けたとても頑丈な土台ができるだろうと僕は信じている。

実際、Drupal Association 2012 プラニングはすでに始動している。僕たちが 2012 年でまず最初に掲げる目標は Drupal.org をすばらしいものにすること、そして、Drupal タレント(Drupal の知識を備えた有能な人材)が不足している問題に対処しやすくすることだ。

Drupal は大きく成長しているし(仕事の)機会もある。それにもかかわらず、Drupal タレントを見つけるのが本当に難しいことはまだ変わらない。それは Drupal にとっていちばん重要な課題であり続けるだろう、というのが僕の意見だ。(だから)Drupal Association でもこの問題にフォーカスを当てることにしたのをとてもうれしく思っている。

Drupal:2011 年の回顧と 2012 年の予測(後半)

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